越境学習のすすめ:社外経験が組織を活性化する理由
「社員を外の世界に触れさせたいが、転職につながらないか不安」「研修は受けさせているのに、視野が広がった実感がない」——そんな悩みに応える人材育成の考え方が越境学習です。慣れた職場を離れ、勝手の違う環境に身を置くことで、個人の視野と組織の柔軟性を同時に鍛えます。本記事では、越境学習の定義と注目される背景、代表的な手段、そして学びを組織の力に変えるための設計のポイントを、人事責任者の視点で整理します。
越境学習とは何か
越境学習とは、自分が「ホーム」と感じる慣れ親しんだ場所と、「アウェイ」と感じる勝手の違う場所とを行き来することで得られる学びを指します。法政大学大学院の石山恒貴教授は、越境学習をこの「ホームとアウェイの往復」として捉え、往復することそのものに学びの本質があると説明しています。社外の副業先、地域活動、他社への出向など、普段の業務の外にある環境が広く対象になります。
ホームとアウェイ
ホームは、長く勤めた職場のように、気心の知れた相手がいて安心できる一方、刺激が少ない場所です。アウェイは、見知らぬ人ばかりで言葉や前提が通じず居心地は悪いものの、そのぶん新しい価値観に出会える場所です。この二つを往復すると、当たり前だと思っていた自社の常識が相対化され、固定観念を問い直すきっかけが生まれます。
「二度の葛藤」が学びを生む
石山恒貴・伊達洋駆『越境学習入門』(日本能率協会マネジメントセンター、2022年)は、越境学習では二度の葛藤が起きると指摘します。一度目はアウェイに飛び込んだときに、通じない前提の中でもがく葛藤。二度目はホームに戻ったとき、外で得た視点と自社のやり方とのズレに気づく葛藤です。この二つの葛藤を乗り越える過程こそが、個人を成長させ、組織に新しい視点を持ち帰らせる原動力になります。
なぜいま越境学習が注目されるのか
変化が速く先の読みにくい時代には、社内で完結する経験だけでは発想が広がりにくくなります。人的資本経営への関心の高まりもあり、社員を外の環境にさらして成長を促す取り組みが、人材育成と組織開発の双方から注目されています。国も後押ししており、経済産業省の「未来の教室」事業では、異なる業種の社会人が社会課題の現場に越境して課題解決に挑むリカレント教育プログラムが実証されてきました。
また経済産業省は、大企業等の人材が社外で新規事業に挑む取り組みを支援する中で、越境体験の効果を測るための「越境体験ルーブリック」を策定し、2021年に活用マニュアルとあわせて公開しています。大企業の社員が自ら起業する「出向起業」を支援する制度も整えられており、社外経験を通じた人材の流動と育成が政策としても位置づけられていることがわかります。
越境学習の主な手段
越境学習には決まった型はなく、自社の目的や社員の状況に合わせて選べます。社外との関わり方や負荷の大きさが異なるため、いきなり大がかりな仕組みを導入するより、参加しやすいものから始めるのが現実的です。
- 副業・兼業:本業と並行して社外で働き、異なる仕事の進め方に触れる(自社の就業規則や情報管理のルール整備が前提)
- 他社への出向・レンタル移籍:一定期間、まったく別の環境に身を置いて実務に取り組む
- 社外プロボノ・NPOや地域活動:専門スキルを社外の課題解決に生かし、多様な関係者と協働する
- 社会人向け大学院やスクール:体系的な学びと、業種を超えた仲間との対話を得る
- 社外の勉強会・コミュニティ:比較的低負荷で始められ、日常的にホームとアウェイを往復できる
重要なのは、これらを「福利厚生」や「本人の趣味」で終わらせないことです。何のために越境するのか、戻ってきた学びを組織にどう生かすのかを、送り出す前に本人と上司で言語化しておくと、体験が育成につながりやすくなります。
学びを組織の力に変える設計
越境学習は、個人の成長にとどまらず組織にも波及します。石山教授は、越境した本人だけでなく、その人を受け入れた側や、戻ってきた越境者と接する周囲のメンバーにも学びが広がる「被越境学習」の効果を指摘しています。外の視点を持ち帰った社員が投げかける問いが、職場の当たり前を揺さぶり、組織全体の学びにつながるのです。この波及を起こすには、送り出しっぱなしにしない設計が欠かせません。
送り出す前・戻ってきた後を設計する
- 目的を言語化する:何を得てほしいのか、育成上の狙いを本人・上司・人事で共有する
- 往復を設計する:アウェイでの経験を、ホームで振り返り共有する場(報告会や1on1)をあらかじめ用意する
- 戻りの受け皿をつくる:持ち帰った違和感や提案を頭ごなしに否定せず、小さくでも試せる余地を残す
- 効果を可視化する:行動や意識の変化を観察し、次の対象者の選定や制度改善に生かす
よくあるつまずき
ありがちなのは、越境の機会は用意したものの、戻ってきた社員の変化を組織が受け止めきれないケースです。外で刺激を受けて意欲が高まった人ほど、「元の仕事は何も変わっていない」と感じると、かえって停滞感を抱きやすくなります。越境そのものより、戻ってきた後の対話と、小さな実践の余地づくりに手をかけることが、定着と再現性の鍵になります。
なお、越境学習を転職の予行演習のように警戒する声もありますが、往復を前提とした設計と、戻ってからの活躍の場づくりがあれば、むしろホーム企業への貢献につながり得るというのが研究者の見立てです。過度に囲い込むより、健全に往復できる関係を築く方が、長い目で見た定着に資すると考えられます。
小さく始めて組織文化にする
越境学習は、全社一斉の大きな制度から始める必要はありません。まずは意欲のある社員を対象に、社外の勉強会参加やプロボノなど負荷の小さい取り組みから試し、振り返りの場をセットで運用してみるのが現実的です。そこで得られた変化や気づきを言語化して共有すれば、次の参加者が続き、やがて「外に出て学び、持ち帰る」ことが当たり前の組織文化として根づいていきます。
この記事のまとめ
- 越境学習とは、慣れた「ホーム」と勝手の違う「アウェイ」を往復することで得る学びで、往復そのものに本質がある
- アウェイに出るとき・ホームに戻るときの「二度の葛藤」を越える過程が、個人と組織の成長を生む
- 副業・出向・プロボノ・社会人大学院・勉強会など手段は多様。目的の言語化と、戻ってきた後の受け皿づくりが成果を左右する
- 送り出しっぱなしにせず往復と振り返りを設計すれば、周囲にも学びが波及し(被越境学習)、組織文化として定着する
よくある質問
越境学習と、通常の社外研修やeラーニングはどう違うのですか?
座学中心の研修が特定の知識・スキルの習得を主眼にするのに対し、越境学習は勝手の違う環境(アウェイ)に身を置き、通じない前提の中でもがく体験そのものを学びとします。ホームとアウェイを往復し、戻って自社の常識を問い直すところに特徴があります。
越境学習で社員が転職してしまうリスクはありませんか?
往復を前提に設計し、戻ってきた社員が学びを生かせる場を用意すれば、むしろ自社への貢献につながり得るというのが研究者の見立てです。過度な囲い込みより、健全に往復できる関係づくりの方が、長期的な定着に資すると考えられます。
小さな組織でも越境学習に取り組めますか?
取り組めます。大がかりな出向制度がなくても、社外の勉強会やコミュニティへの参加、地域活動・プロボノなど低負荷の手段から始められます。参加後に振り返りを共有する場をセットで運用することが、規模を問わず成果につながる第一歩です。
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